
一度お会いした事がある方が殺人容疑で逮捕されたようなのですが、ネットで調べたところ容疑者の方にとって他人の人間からは、手紙も届ける事が出来ないようなので、記事を元に犯罪と人に対する思いを絵と言葉に描きました。人づてで紹介されてお会いしただけなので、その方は私を覚えていらっしゃらないと思います。また私はその方のプライベートを知らないため、絵と言葉の大半が予測でありウソです。逮捕された方に他人がメッセージを送る方法をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂けますと幸いです。起きた事実や時間は元に戻らないので、真偽を問い合わせたい訳ではなく、ただ心配です。
犯罪が起きる過程を予測すると、その人間の肉体・精神に様々な辛い事が起き、相手の事がどうでも良くなるくらい疲れて「自分の命を守るためには相手を●●するしかない」と脳が間違った判断を下す、という物が大半なのではないかと思います。大人数・大規模な物になりますと、思い込みや教育も入ってくるので一概に「自分の命を守るため」と脳が思っていないかもしれませんが。
ただ、個人の逮捕、尋問、カウンセリング、刑務所での訓練などは、その人間が今までと違った人生観を持ち、人と平和に安心して人生を歩む為の、認識の再調整であるべきであって、反省して更生するための処罰を与えるのでは、意味が無いと思います。
個人が犯罪を犯さなければいけないほど心身が困っていたり情報困窮者であったなら、社会は二度とその立場にその人を置かない努力をするべきです。人が生きていける情報や教育が人を絶望に追いやらず希望を持たせるならばその人は人を傷つける犯罪者になどなりたくないと思うでしょうが、なぜ罰し反省させる事が「これだったら人を信頼して生きていきたい、今までと違う自分になってでも人に好かれる人になりたい」と思わせる事に繋がるのでしょう?
良くない事をしたからキツく叱り、道徳を守らない場合はどうなるか思い知らせる事が人の教育だとしたら、そんなに楽な事はありません。人はただ自分の都合で怒りをまき散らせば良いのです。他人の不道徳な行為に怯え、いつでも脅す事を練習し相手に見せつけ黙らせれば良いのです。現行の犯罪に対する法律は、それと何が違うのでしょう?
道徳が自分の国と違う人間や、悪そうに思える人間、犯罪とみなされる行為を働いた人間には、今後どう付き合っていきたいか、人とどう付き合えば良いかを周りの人間が親切に教えない事が、犯罪抑止や子供達の道徳教育に繋がるとは思いません。
人と協力・連携して生きていく方法は、頭の良い人間や道徳のなっている人間、仲間と思える人間としか、教え合ったり話し合ったりしたくはない。話が通じない人間は何をしてくるか分からない。その教育へ怯えや不安のためだけに、人間は今後も自分達とは違う世界に生きているように見える人間に怯え、罰する方法を取り、不信や猜疑心に満ちた世界を作り続けたいのでしょうか?
人が悪事を反省すると安心するのは周りの人間だけで、反省した人の人生に安心はやってきません。あるのは不安と絶望、人に今後好かれないであろうという予感だけです。その人は刑務所で作業をすると社会に貢献したり大人しく人に従ってニコニコ笑う人になったりするのでしょうか?
今後も人間関係のルールが、予測不可能な他人の行動から身を守り安心を得るためだけに、人を刑務所で罰したり殺したりするならば、私は子供達に「今のルールは人が人に怯えて作っているだけだから無視して、自分が人にどういう態度を取りたいか、取って欲しいか、自分で考えた方が良いよ」と伝えていきたいと思います。
また、心身が追い詰められない環境を個人が作り上げるためには、生活に必要な基礎知識を人生の先輩方に教わる必要があります。仕事・家事・育児・運動・睡眠・趣味を1日の内にどうやりくりし、1年間、3年間、10年間、一生の間にどういうプランが建てられるか、色々な人生を知っている、あるいは体験した事のある、様々な年齢・性別の人々とシミュレーションを交わし、いつでも軌道修正出来る、水源から海へと繋がるような、開けた人生が提供されてこそ、人は安心して暮らしていけるのではないでしょうか。
そう考えた時、人が人に教える内容、人が人に愛情を感じる教育というものが、そんなに難しすぎるとは思えないのです。現在の犯罪に関する法律や子供達への人間関係・社会への関わり方の教育について、もっと簡単に一から、そして小さい内から様々な大人が一人の人間に対して一言ずつ何か気軽に温かく気持ちを伝えられる社会が実現する事を願っています。その一端を、どんなに小さい事でも、ひとてまでもかの子で実現していきたいと考えています。



